第6話
1991.10.08
1991年10月8日 ラリー3日目

背中の砂は冷たく、風も少し吹いていて、身体が冷えきって寒さで目が覚める。
時計を見ると AM4:30。
ちょうど起きないといけない時間だ。

眠ろうとして目を閉じ、その次の瞬間 目を開けて見たらすでに朝。
もう起きる時間になっている。
疲れはぜんぜん取れていない。

平生、朝食はコーヒーだけだったり、食べない事も多いと言うのに。
パン三つ、バナナ、卵、オレンジジュース。食後には紅茶も。
自分でも信じられない量の朝食を貪り食う。

テントから1km先にスタート地点がある。
皆の並ぶ列の後ろまで行った所で、ブウ、ブウ、ブウッ~とエンストしてしまった。
キックしてもやはり掛からない。
キャブレターのオーバーフローホースが、ガソリンで濡れている。
オーバーフローしていると言う事は、キャブレターへゴミが入ったと言う事だ。
フィルターを着けているのに。

急いでタンクを外しキャブを分解。
原因となるフロートバルブを掃除する。ゴミはどこにも別段見当たらない。
組み立て、キックする 。
掛からない。

プラグをチェックする。
火が飛ばない...
おかしいなプラグだったのかなあ。
交換する。
一瞬かかりそうになったが、やはりかからない。

刻々と時間は過ぎ、 私の順番が近づく。

キックする...。 掛からない...。
キャブからは無情にも、ガソリンがじゃぁじゃぁ漏れている。

私の順番がきて、係員はあきらめろと! とことなげに言ってくれる。
スタート出来なければ、自動的にリタイヤだ。
こんな事ぐらいで、リタイアにされてたまるか!

なんとかスタート順を、後ろに回してもらえる事になった。
焦るな! と自分に言い聞かせても、焦る。
作業は遅々として進まない。

二度目の分解で念入りに観察し、やっとオーバーフローの原因に気がついた!
ガソリンに、ねばねばのゼリーが混ざっているんだ。
昨夜、村で給油したあのガソリンかぁ~。
掃除しても後から後からこれが流れ出してくる。
タンク内のこの沈殿物を全部捨てなくては。

出しても出してもいつまでもゼリーが出てくる。
日も昇り、じりじりと太陽が地表の物質を焼き始める。
早く直さなければ...。
一生懸命やっても焦っても、時間を止める事は出来ない。
いよいよ失格を言い渡される時間となる。

そのカウントダウンのゼロを過ぎた。
それでも諦めず、運良く何かの間違いか、見逃してくれる事を期待し作業を急ぐ。
いつしか車のスタートも終わり、カミオンのスタートが始まっていた。

女性スタッフが傍らに来て、日傘をさしてくれる。
メルシー!
必死で作業をしてるのを見て、言葉少なに傘をさし続けてくれている。

名前は?
フランソワ。

仕事は?
?????。????????。

フランス人はやっぱり英語がしゃべれるんだ。
彼女はしっかりした英語で答えてくれててはいるのだけれど、私の方のヒアリング能力が乏しいせいで、聞き取れなかった。
日本人の悪い癖かもしれないが、ふ~んとあいずちだけは打つ。

このラリーでの仕事は?
あのヘリコプターに乗って、ラリー同伴ツアーの添乗員ヨ。
すっげ~。
たいしたことないわ。???????。???????。

やっぱり少し難しい話になると、ぜんぜん分らなくなる。
またふ~んとあいずちを打つ。

全ての選手がスタートし終え、スタート係のスタッフ達に囲まれた。

ここまではちゃんと走って来たようだから、OK!
さあ手で押してスタートゲートをくぐれ!
良かった! スタートした事にしてくれるようだ。

もう出発しちゃあ行けない。何故ならもう最後尾を走る掃除トラック、カミオンバレーもスタートしてしまったから。
だけど問題じゃないヨ。 今日のコースはループ状で、皆一周廻ったらここへ帰って来るんだから。
失格にはならないから安心して、ゆっくり休んでおいたら。

みんな分り易く英語で話してくれている。

走れないと言うのにリタイヤにはならない事が、ぼんやりした頭にはなかなかピンと来ず、幸運と言うよりも不思議で、キツネにつままれた感じだ。

スタッフ達が地面を見つめ歩き回っている。 何か落とし物を探してる風だ。
どうしたんですか?
化石だよ。 サメの化石がこの当たりは沢山あるんだ。 これっ、歯。
と彼が自分の口に、愛敬良く牙みたいに2本さして見せてくれたのは、尖った白いサメの歯だった。
化石にはあまり興味がないけれど、私も記念に2~3個の歯をひらっておく。

がらんとしたアラビックテントで転がって寝る。
ひなたの灼熱地獄とは打って変わり、日陰はとても涼しく、サラッとした砂の上での昼寝は素晴らしく気持ち良い。

ふと目を開いてみるともう夕方だ。

選手達が続々と帰って来ている。
まず日本人では山村雅康氏が帰って来た。
恐らく彼は、日本中で一番数多くラリーに出場をしているライダーだ。
その他の日本人選手と言えば初出場ばかり、フランス人スタッフから嫌われ、山村氏からも相当にうとまれている。
初心者とうっかり仲良くなると、一から十まで教える事になってしまうから、恐らくそれが嫌で遠ざかっている風だ。

百戦錬磨の彼は、溺れる者に捕まれてしまう怖さを、充分身に染みて知っているのだろう。

彼はアラビックテントへ帰ると、まず帰着の報告を本部で済ませる。
うがいし、水で身体を拭く。
すぐマシン整備にかかる。
オイル、エアーエレメント交換。 各部の緩みの点検。
ガソリン給油も手早くすませると、いつの間にか食事をしている。
ブリッフィング(ミーティング)を聞き、何人かの外人の友人達と、ストレッチしながら軽く談笑した後、瞬く間に一人用テントに潜り込み寝ている。
これなんだ、ラリーでのあるべき生活は。

マシン整備、身支度、情報収集は素早く済ませ。 いかにゆっくり身体を休め、睡眠時間を長く取るか。
わたしはラリー3日目を走れなかった事で、運良く山村氏やベテラン選手達の生活を、目で見て知る事が出来た。
ラリーデーターをかき集めた中には、そんな事がどこかに書いてあったような気もする。
さらに目の前での素晴らしいお手本を見て、その意識レベルが俄然変わってきた。
これなんだ、これ!

他の日本人達も帰って来始めた。
埼玉の植田君はカミヨンバレーで運ばれて帰った。アルミ製のタンクにひびが入り、ガソリンが全部流れ出したようだ。
どこかのワークスメカニックに、ガソリンタンク用のエポキシで直してもらうとの事で、そこへと向かった。 また明日からは走れそうだ。

2日目から行方不明だった九州3人組が、一晩遅れの今夜ようやく帰って来た。
例の20m級デューンで夜になり、カミオンバレーを待っていても来てくれず深夜を向かえ。
しかたなくその場でビバーク(野営)。
寒さで寝る事も出来ず、デューンの谷間でじっと朝を待ち、今ようやくここへたどりついたのだ。

昨日の夜、女の幽霊の声が聞こえたとぉ。と3人で賑やかに話してくれる。
熱い砂が寒くなって、収縮する時に出る音んだヨ。という意見があったが、いつ何処で幽霊が出てもおかしくない雰囲気を、砂漠は持っている。

とても残念だが、彼等はすでにリタイヤになってしまっていた。
リタイヤと言えど、自力でカイロまで帰らなければいけない。
ゼッケンにバッテンが貼られ、競技コースを走る事は許されない。
ラリーと同行するのはかまわないが、サポート部隊らが走るアシスタンスコースを走らなくてはいけない。
そのアシスタントコースと言えば、砂漠より走り難い例の舗装路だったり、競技区間と変わらないレベルの砂漠の道、ピストだったり。
その大抵が遠回りで、間違いなく競技をしている選手より、より苛酷な運命が待ち構えている。

田中夫婦は二人乗りで帰って来ていた。
友子さんのバイクが10kmほど手前で、クラッチがだめになって、どうしょうも無く置いてきたそうだ。
ラリーレイドでは環境保護の立場から、たとえリタイヤしても、砂漠へマシンを置いて帰る事は許されない。
近くの村でトラックをチャーターし、自力でカイロまで持ち帰らなければいけないルールだ。
だからどの道そこへ置いて帰るわけにはいかないのだ。

エンジンが冷めると、意外とクラッチは自然治癒するもの。
田中のおトウチャンと私は、2人乗りでマシンを取りに行った。

この当たりのはずだけど、マシンどこにも無いないですネ~。
2人乗りじゃ走り難いから、降りて待ってて貰えます?。
博多なまりが何故だか標準語になってる。
あぁ良いよ。
田中のトウチャンはマシンを探しに、夜の砂丘の彼方へ消えてった。

テールランプの明かりがまるっきり見えなくなった。
後方に有るはずの、アラビックテントの明かりも全然見えない。
明るい星は手に届くほどに近く、天の川の粒々までくっきり見える。
あっ 北斗七星。 あっちが北か。

バイクを探す積もりで、あたりをうろうろ歩いていたら、情けない事にテントがあるはずの方向に、自信が持てなくなってしまった。
このあたりは緩やかなデューンばかり。
正規のコースを外れているようで、田中君のワダチだけがかすかにあるのみで、他にワダチらしき物は見あたらない。
サラサラですぐ消えるのかもしれない。
本当に友子さんのバイクはこの当たりにあるんだろうか?
ひょっとしてバイクも田中君も見つからなければ、このまま迷子になるのかもしれない。
そしてこのまま朝になり、昼になったら....。

もし見つからなかったらどうしよう。

星が頭に当たりそうで、背中を丸めデューンを歩く。
ひんやりとした砂の、黒いシルエットがとても奇麗だ。
月の砂漠を~と、歌でも歌いたいが、先ほどの幽霊の話が出たばかり。
シキシク泣き声が聞こえてきそうで、そんな気分にはもなれない。

マシンに乗っていても、昼間でも、砂漠で一人だとキューンと切ないものだ。
夜、しかも歩いてると、その寂しさやるせなさは、身体中の細胞にまでに染みて来る。

何時の間にかマシンを探すためではなく、田中君を見つけるために歩き回る。
この当たりで一番高そうな所へと向かう。

随分長く、星を見ながら待った。

死後の世界はどんな所だろか?
一人ポッーンとしててこんな所かなぁ、そんな気がした。
田中君のへドライトを見つけた時、手を大きく振り、大声を出して駆け出していった。

友子さんのバイクのエンジンは、すでに冷えているので、思ったとおりクラッチを調整すれば大丈夫。
わたしが友子さんのバイクに乗る。
このバイクに乗って、友子さんがデューンを登れない理由が分った。
250cc4サイクルでは、砂にパワーが食われてしまい、全開にしてもぜんぜん勢いが付かない。
これじゃだめだ。
かと言って大きいマシンはパワーがあっても車重が重く、女性には体力的にコントロール出来ないだろうし。

後藤君はスピードメーターケーブルが切れてしまい、単独行動が不可能となり、3人が一緒にリタイヤする事になった。

二日目とこの三日目は振るい落としの日だそうだ。
これはまだしもカイロから近い場所で、あえて走破出来ないような場所を走らせて、早くリタイヤさせた方が良いと言う、親心からそうしているのだそうだ。
ここですでに参加者の3割程が消えていった。

リタイヤしようが、少々の怪我をしようが、疲れ果てこれ以上もう走りたくない!すぐ家へ帰りたい!と思っても。
担架で運ばれる重傷者以外は、カイロまで自力で帰るしかない。

朝スタートしてしまうと、どこで何があろうがビバーグへ帰り着く以外に、生きていられる術は無いに等しい。
ラリーレイド。本当にリアルな地獄のバーチャル体験を、見事にシュミレーションできている。

とんでもない所へ来てしまった。
ラリーてのは、たわけたフランス人のお遊びヨ!と言う気持ちが何処かにあったが、ふっ飛んでいた。
こんなに疲れ果てさせられ、しかも逃げるに逃げれない。
ゆっくり走ったり、ちょっとトラブルを抱えタイムロスすると、ビバーグへ着くのは下手すると深夜。
2つ3つトラブルと、 寝る時間が全然無くなってしまう。

それより更に遅くなると、誰もいないビバーグの跡地に到着する事になる。
お願いです神様、明日も一日運良く走り切れます様に!
とクリスチャンでもないのに、祈る日々が始まった。